カフェ クレープリー ル ブルターニュ
ケルト古代アートと
ブルターニュの
現代アート

ブルターニュ地方

フランス北西部に位置するブルタ−ニュ地方は、英仏海峡と大西洋に突き出た半島です。豊かな自然と独自の文化をもつことで知られています。 エメラルドの海岸、ピンクの花崗岩の海岸などの美しいビ−チ、険しくそびえ立つ断崖が連なる海岸線。また内陸部には伝説の森と湖、風車跡のある田園風景、壮麗な城など、素晴らしい景観が訪れる人々を魅了しています。

牡蠣や帆立、オマ−ル海老をはじめ実に多様な海産物、加塩のバタ−や、牛豚肉、りんご酒等の産地であり、蕎麦粉を使ったクレ−プ(ガレット)も名物料理です。

多くのフランス人がラテン民族であることとは異なり、ブルタ−ニュの人々(ブルトン)は、ケルト民族を祖先としています。言語も文化も長い間独自のものを保ってきました。堅牢な建造物を次々につくっ たロ−マ人や、組織づくりに長けていたゲルマンの人々に対して、先住のケルト人たちは、自由な気風を持ち、自然を畏れ神秘的なものを敬い続けた民族であったと言われています。

西欧文化の深層に隠されたとも言うべきこのケルトの世界が注目される今日、彼らの文化が色濃く残された地、ブルタ−ニュを知る旅に出かけてみませんか。

ブルターニュ地方の都市 レンヌ(Rennes)
レンヌ
レンヌ

16世紀にブルターニュ公国がフランスに併合されて以来、レンヌはブルターニュ地方の中心都市として発展してきました。ところが1720年に8日間にわたる大火のために1000戸近い家が焼失し、その後第二次世界大戦の被害も受け、貴重な古い建築物の多くが失われてしまいました。かろうじて焼け残った家のある地区は旧市街と呼ばれ、中世の木造家屋を見ることができます。
レンヌには2つの総合大学があり、4万人の学生が学んでいます。特にリース広場やサンタンヌ広場の回りの通りには、バー、レストラン、デザイナー・ショップが並び、多くの学生たちで賑わっています。

フージェール(Fougeres)
フージェール
フージェール

モン・サン・ミッシェルから南にかけてロワール川に至るまでの一帯に、中世に建てられた城塞が点在しています。中でも12世紀にブルトン公爵ラウール2世が要塞を石造の城に建て替えたフージェール城は、敵の侵入を防ぐ目的でナンソン川を見下ろす丘の上に建てられ、その堅固さと規模は西ヨーロッパ一といわれています。数々の戦いによってその大部分が破壊されましたが、現在残っている13の塔と厚さ3メートルに及ぶ城壁は、当時のすぐれた城築法を物語っています。
中世の家並みが残っているマルシ広場周辺や、ゴシック様式のサン・シュルピス教会も一見の価値があります。またフージェールは、バルザックの小説「ふくろう党」の舞台にもなりました。

サン・マロ (St-Malo)
サン・マロ
サン・マロ

ランス川の右岸に位置し、17世紀から18世紀にかけて、サン・マロは商人たち、またコルセール(外国船から獲物を奪う権利を王から与えられた民有武装船)の拠点港としてフランス最大の規模を誇っていました。旧市街は1944年にドイツ軍の大爆撃を受け、その8割は破壊されてしまいました。その後歴史的記念建造物は忠実に復元されましたが、その他の建物は17〜18世紀のスタイルで再建されました。しかし旧市街を囲む12〜18世紀の間に建てられた城壁は、その大部分が戦禍を逃れ、当時のまま残されています。

カンカル(Cancale)
カンカル
カンカル

モン・サン・ミッシェル湾に隠れている小さい港町で、カキの名産地です。ピエ・ド・シュヴァル(馬の脚)というカキはカンカルの特産です。平たくて、丸くて、馬のひずめの形に似ているカキです。養殖場は360ヘクタールに及びます。モン・サン・ミシェル湾はプランクトンが多くてカキの濃厚な味を作り上げます。また、ムール貝の養殖も盛んです。湾の中で木の柱にムールが縄を巻き付けてあります。
ガンベッタ海岸(Quai Gambetta)には海の幸を扱うレストランが建ち並び,店頭の中心とした海産物が美味しいそうです.のんびりとした雰囲気の中で一休みしたくなります。
海沿いのサンチエ・デ・ドアニエ(Sentier des Douaniers)を歩くと,カキの養殖場を見て,モン・サン・ミシェル湾が一望にできます。

カンペール(Quimper)
カンペール
カンペール

フィニステール県の県庁所在地であるカンペールは、サン・コランタン大聖堂を中心に、当時を偲ばせる街並みが続き、そこに歴史と芸術が生きています。中世を彷彿させる城壁や家が立ち並ぶ石畳の狭い道を通ると、ヨーロッパの歴史や伝統を肌で感じ取ることが出来ます。
ファイアンス焼きで知られる伝統的なカンペール陶器は世界的に有名です。青や黄色の線の縁取りの中に、花や動物が描かれ、もともとは結婚の贈り物や家宝として作られていましたが、今では世界的に輸出されています。

ブレスト(Brest)
ブレスト
ブレスト

「地の果て」(フィニステール)という呼び名にふさわしく、リアス式海岸線には高い岩が連なり、足元に砕ける大西洋の荒波は迫力があります。内陸部も起伏の激しい牧草地、森、荒野が広がり、豊かな自然が感じられます。もともと大西洋と英仏海峡の合流点であることから、この地方にはブルトン民族時代の文化が多く残っており、観光客を魅了しています。
ブレストは第二次大戦中、フランス一の海軍基地であったことから、かなりの被害を受けました。しかし、現在はその面影もなく、貨物船や漁船が行き交う商業都市として近代化が進んでおり、西ブルターニュの中心都市となっています。

フランス政府観光局資料より

ブルターニュの歴史 ブルタ−ニュの歴史は、新石器時代にさかのぼります。 ブルタ−ニュ南部にあるカルナックには巨石群の遺跡があり、メンヒルと呼ばれる0.8〜6.5mの立石が東西に5千近くも並んでいます。 紀元前4670年から2000年の新石器時代に、どのように運ばれ、立てられたか、また目的も謎のままです。

紀元前6世紀にはケルト人がこの地に住みました。ケルトのウェネティ−族のすんでいたこの地方は、カエサルによって前56年に征服され、ロ−マ帝国の支配下におかれます。5世紀になって西ロ−マ帝国が衰退に向かうと、フランク族などのいわゆるゲルマン民族の支配が始まります。フランス語のもとになる、ガロ=ラテン語はこの時代に成立しました。 この5世紀半ばから、ブリテン島からのケルト人たちが再び移動してきて、小ブリタニア(フランス語でブルタ−ニュ)と呼ばれるようになりました。この再なるケルト化は7世紀はじめまで続きます。

9世紀になると、ブルタ−ニュの英雄ノミノエがブルタ−ニュを統一し、西フランク王国にブルタ−ニュ公国の独立を認めさせました。その後幾度もノルマン人の侵入を退け、フランスとイギリス双方と戦いながら独立を守ってきました。しかしフランスの圧力にあって、1532年正式にブルタ−ニュはフランスの一部となるのです。 このような歴史を背景に、何世紀にも渡ってブルタ−ニュは独自のアイデンティティ−を保ち、自らをブルトンと呼び、ブルトン語を話し続けたのです。
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